ポケモンGOで知る父と子の関係性
我が家では子供がひとりです。
色んな事情でこの先も彼がたった一人の子供であることは、ほぼ間違いがないのですが、ある時「ああ、兄弟が欲しかったなあ」と言われたことがありました。
話を聞くと「出来れば上に兄弟が欲しい」「優しいお兄ちゃんかお姉ちゃんがいたらきっと楽しいはずだ」とのことでした。物理的に無理ですが、なんだか申し訳ない気分になったのを覚えております。
ある日の父子
まあ、そんなこんなでGOバトルリーグを一緒にやっていました。
以前いくつか動画のほうはご紹介させていただいたのですが、彼はすっかり「上級者である僕が、初心者であるパパを指導している」と思い込んでいるフシがあります。
まだ数少ないんですがYOUTUBEにあがってます
【親子のポケモンGO】ハイパーリーグ Vol.001 (ラグラージ ギラティナ ファイヤー)
まあ、まちがってはいないのですが、なんというか、「父と子の関係性も昔とはずいぶん違うんだなあ」と思ったりしました。
僕の育った頃の両親
あくまで僕自身のケースなんですが、「父=怖い人」だったように思います。
※ ちなみに母も厳しい人でしたので「親=怖い人」だったのかも知れませんw
小学生の頃の自分と父とで同じ趣味を持つなんてことは全くなく、遊んでもらった記憶も完全に「大人が子供と遊んでやっている」ようなイメージでした。例えばキャッチボールにしても「上手な父が、下手な子供と遊んでやる」こんな上下関係が割とはっきりしていたように思います。
現在の我が家(父と子の関係性)
それがですね、我が家の場合「完全に対等」もしくは「子供が上で親が下」こんな関係性が出来上がっているというわけです。
実際のところ、これがイヤかというと、むしろ望み通りだったりします。
家庭を持つ前に「息子が産まれたら対等な(フラットな)目線で過ごしたいなあ」とイメージしておりました。
それが今のところ叶っているのもポケモンGOのおかげだと思うと、ナイアンティック社、関係者の皆様には足を向けて寝れません。
「今のはパパがまちがってると思うよ」とか「ママ、この前と言っていることがちがう」などの、ややイラっとする発言も多かったりするのですが、それも含めて自分(僕)の思い描いていた関係性には違いありません。
もちろん、親と子の関係がどうなれば正解なのか? については各ご家庭の方針がありますので、正解なんてものはないと思うのですが、我が家の場合は今のところイメージ通りのものとなっています。
息子の望む? 父子関係
今日もですね、息子のコーチングを受けながらバトルリーグにいそしんでおりました。両陣ともシールドを使い果たし、最後の連打合戦の状況です。
その時、息子が言いました。
「パパ手伝ってあげるよ、兄弟でタップすれば早いよ」
一緒に僕のスマホをタップし始めたのです。
「え? 兄弟?」
と思いましたが、本人は自分の発言に気付いておりません。
「そうか、そうなのか、彼の求める兄弟像は、今の我が家の父子の関係性なのか」
だとするとですね、僕は父というよりも兄もしくは弟の役割を兼務しているようです。
昔の父と子とはずいぶん違うし、こういうのもいいよなあ、と思いながら息子と二人でスマホを連打して勝負に負けましたw
ポケモンGOという共通の趣味を持つのも悪くないものですねw
敗北から学ぶもの
バトルリーグでの敗戦にはもう慣れてきましたw 3連勝したりすると手に震えが出ますw それくらい勝つことがマレです。
えーと、突然ですが成功事例なんて言うと「おお、真似したい」なんて思う方も多いのかも知れませんが、実際のところ人生において役にたつのは圧倒的に「失敗した経験」だと思ったりしています。
免許の更新でゴールド以外の講習を受講された方ならおわかりかと思いますが、けっこう「交通事故で人生悲惨なほうに転がった方」のドキュメンタリー的なものを見せられたりしませんか?
個人的にはアレってとても効果があるのではと感じています。
あの講習を見たあとしばらくの間は運転に異常に気をつけているという、超個人的経験が根拠だったりするのですが
「わたしゃ、もう50年も何にも違反してないんですよ」
なんていう高齢の方のインタビュー(つまり運転の成功事例)見せられるよりはよっぽど心に刺さる気がしてなりません。
ゲームで負けても泣かないって約束して、楽しむ為の物でしょ? とママに言われた小1男子。
— 親子のポケモンGO (@GO05223428) March 30, 2020
※ 僕とは多少意見違いますw
「約束は出来ないよ」としゃくり上げながら宣言。この先絶対泣かないかなんて、わからないし、泣いた時に嘘つきになっちゃう。
ママ絶句。GBLむずいよねー、強くなりたまえw pic.twitter.com/XGwviq8xZL
まあこのツイートの件で少し記事にさせていただいておりますが、
「悔しい、だから次は負けないような何かをしよう」
で、泣くのは父親としては全然オッケーというか、むしろどんどん失敗しろ、敗北しろって思ったりします。
「悔しい、もういや、誰か助けて」もしくは「悔しい、けどもう一回このままやろう」
これは父親としては、少し残念な気分になります。
「昔はさあ」なんて話をすると、さすがに自分の加齢に眩暈がする気分になりますが、もうちょっと以前であれば
「転んでもいい、立ちあがり方を教えてやる」的な教育が多かった気がします。
今は幼稚園、小学校くらいしか知らないのですが
「転ばないように、ケガしないように」が主題となっているような気がして、そうなると、ガサツな時代を生きてきた世代の僕から言うと、
「いやいや、人生転びっぱなしだよ、起き上がり方を学んでくれよ」
という本音がついつい溢れそうになります。
そういった意味でも、ほぼノーリスクで「たくさん失敗が出来る」このバトルリーグはとても良い教材だったりするのかも知れないなあ、と思ったりしました。
自分が小学校1年生の頃に、こんな思考にたどり着けたか? っていうと、多分無理だったでしょう。でも自分の息子には、それを求めちゃたりしていることに気付けた、これだけでもポケモンGOを息子とプレイしていた意味があったなあ、と思ったりしました。
息子よ、どんどん失敗して、負けて、少し泣いて、どんどん強くなってくれ。
これやっぱり古いんですかねw そんなことを考えました。
ポケモンが「つおい」から「つよい」に変わった子供の成長
皆さまのご家庭では、スマホという超個人的情報をどう管理されているのか、わかりませんが、我が家のケースで申し上げれば「完全フリー」。つまり誰でも触って良い状態となっております。
ですので、まだ平仮名もおぼつかない息子は、勝手に僕のスマホを手に取り、勝手にポケモンGOを起動したりする日々がありました。
safariが開きっぱなしになっていたりすると、意図せず刺激的な広告が出てしまうケースもあるので、かなり気を使うようになりましたが、それはまた別のお話ですw
字をまだ読めない頃は音が頼り
平仮名もある程度は幼稚園のころから覚えていたのですが、やはり当時の彼の知識は限定的です。一部しか読めない状況です。「わ」と「ね」などの区別は当然つきませんし、「耳から入って来る音」が基準になっているので、
「ワピバースエートゥーウー♪」
(ハッピーバースデートゥーユー)
になったりします。まあ微笑ましいですよね、今覚えば。
段々と字が読めてくると…
まあ、そんな時期もすぐに終わり、段々とポケモンの名前を読めるようになってきたり、「同じピカチュウでも強いのと弱いのがいるの?」と気づいたりしてきました。強さ分析のグラフなんて視覚的なものは、もう直感的にわかりますし、その分理解は早かったです。
そうなると男の子だってこともあるのかどうかはわかりませんが、「強い個体」へこだわりを見せるわけです。
子供にとって「強い」ってのは、かなりわかりやすい指標ですからね。これはもう仕方のないことです。
当時はグラフなんていう可視化はしてくれなかったので、「強い」「普通」「弱い」くらいしかその場では判定できなかったのですが、彼はなんとなく区別がつくようになっていました。「これって強いってことでしょ?」とかそういうのは全体的な雰囲気で理解していたのです。
名前を変えてみよう
そして、更に僕が強いポケモンにマークをつけたり、名前を変えたりしていることにも気づきました。「え? ポケモンの名前って変更できるの?」と気づいてしまったわけです。
ある朝、僕が起きてくるとそれよりも遥かに早い時間に起床した息子が、必死の形相で僕のスマホをいじっています。
「なにしてんだ?」
と尋ねたところ、
「パパのつおいポケモンには、ちゃんとわかるように『つお』ってつけといたから」
と誇らしげに答えます。当時の自分のボックスがいくつだったかは忘れましたが、『強い』と判定されたポケモンの名前は全て末尾に『つお』がついていました。
写真はいくつか記念に残しておいたその名残ですw
そうなんですね、当時の彼にとって僕の言う「これ、つよいなあ」は全て「これ、つおいなあ」だったんですね。
そして現在(小1)
いくつか写真のように残してあったんですが先日、当時と変わらずに僕のスマホを覗き込んだ小1の息子から
「ねえ、もうそれ恥ずかしいから『強い』」とか「『攻撃防御HP』とか、ちゃんとなおしてよ」と言われました。
なんだか寂しいような誇らしいような不思議な気分になりました。
「つおい」から「つよい」を理解したり、16進数で「Fって最高値の16だよね」とか言ってくる息子に目を細めたりしながら、ポケモンで感じる子供の成長に思いを馳せたりするのも一興かも知れません。